2015年2月16日月曜日

【重要】朝日慰安婦報道の真犯人?と闇の核心部分が判明か?

池田信夫氏のブログで大変重要な情報があります。これが事実ならば朝日の一連の慰安婦「大誤報」の全容にかなり迫る事になります。もちろん第三者委員会もここまでは明らかに出来て(して)いません。ここまで解明したのは同氏が初めてではないでしょうか!

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51929207.html

どうやら池田氏の著書で一部事実誤認があったらしく、1992年1月11日の宮澤首相訪韓直前の大問題の記事(おそらく辰濃哲郎氏の記事、慰安婦についての大きな誤解を生む虚偽の用語解説付き)が植村氏が書いたような記述に植村氏が事実誤認と指摘したようですが、池田氏はこれを素直に誤りと認め、謝罪をされています。

問題はその後の記述です。

特にここの部分が大変重要です。プロの池田氏と比ぶべくもありませんが、私も以前述べたように同じ見解です。個人のミスであれば比較的大した事はありませんが、組織ぐるみかつ意図的だとすれば意味は大きく異なります。

http://ianfucwi.blogspot.jp/2014/12/httpjapan.html

「つまり慰安婦問題は、植村氏個人の誤報ではなく、朝日新聞の幹部が企画し、社を挙げて実行したキャンペーンなのだ。それがこの問題が嘘とわかってからも、20年以上も隠蔽された原因である。」

【以下池田氏ブログより引用】
(前略)
ただし大筋の事実関係は、その後の記事で書いたことと変わらない。すなわちこの問題の主人公は植村氏ではなく、彼はデスクに命じられて2本の署名記事を書いたに過ぎない。のキャンペーンの責任者は、当時の大阪本社論説委員、北畠清泰と、大阪社会部デスクの鈴木規雄である(ともに故人)。この点は、植村氏も現代ビジネスで、青木理氏のインタビューにこう答えている。
──ところで、韓国への出張取材は、どうして植村さんが行くことになったんですか。植村「僕は慰安婦問題の取材はしたことがなくて、在日韓国人政治犯の問題をずっとやっていたんですけど、韓国語もできるし、規さん[鈴木規雄]は広い目で(部下を)いろいろ見ててくれたから、そういうのがあって派遣されることになったんだと思います」
これは意外に重要である。というのは、第三者委員会の報告書にも鈴木が登場するからだ。
辰濃は上記朝刊1面記事を中心となって執筆したものの、従軍慰安婦の用語説明メモの部分については自分が書いたものではなく、記事の前文もデスクなど上司による手が入ったことにより、宮沢首相訪韓を念頭に置いた記載となったと言う。用語説明メモは、デスクの鈴木規雄の指示のもと、社内の過去の記事のスクラップ等からの情報をそのまま利用したと考えられる。
なんと1991年8月に植村に韓国出張を命じた大阪社会部の鈴木デスクが、翌年1月には東京社会部に転勤して、宮沢訪韓の直前の記事の執筆を指揮したのだ。これは書いた記者も別であり、偶然とは考えられない。大阪から東京に拠点を移し、社を挙げて慰安婦キャンペーンを張った責任者は、明らかに鈴木である。それだけではない。鈴木は1997年の慰安婦特集のときは、大阪社会部長としてその原稿をチェックする立場にあった。政治部や外報部は「吉田清治の証言は虚偽だ」という訂正を出すべきだと主張したが、社会部が握りつぶして「真偽は確認できない」という曖昧な記事になった。その後、鈴木は東京社会部長になり、大阪本社の編集局長までなっている。つまり慰安婦問題は、植村氏個人の誤報ではなく、朝日新聞の幹部が企画し、社を挙げて実行したキャンペーンなのだ。それがこの問題が嘘とわかってからも、 20年以上も隠蔽された原因である。第三者委員会も、こうした構造的な問題を解明できていない。現在の渡辺雅隆社長は元大阪社会部長であり、解明は不可能だ。朝日新聞が隠蔽を続けるかぎり、この問題はどこまでも続く。植村氏がまだジャーナリストなら、裁判ではなく取材によって事実関係を明らかにすべきだ。
(引用終わり)

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