2016年12月31日土曜日

慰安婦合意から1年、新たに釜山に慰安婦像、当局が一旦撤去も再設置される


http://www.asahi.com/articles/ASJDZ3T7QJDZUHBI00J.html
(朝日新聞より)

先日12月28日で日韓の慰安婦合意から1年が経ちました。しかし、慰安婦合意は風前の灯火となりました。

慰安婦財団は何とか立ち上がり、7割以上の元慰安婦が約1000万円の「癒し金」を受け取りました。しかし、日本側が比較的冷静に合意を受け入れ、概ね静観しつつあるのに対して、韓国側は朴クネ大統領の弾劾を含めた混乱もあり、野党も国民も合意を受け入れない状況が続き、結局ソウルの日本大使館前の慰安婦像の撤去はできずじまいで1年が過ぎました。

そして今回、合意に明らかに反する釜山の日本領事館前の新たな慰安婦像設置の運動が起こり、釜山市の東区当局が一旦撤去したものの、抗議が殺到、当局はこれに屈してしまい、設置を認める方向に転換しました。

またか、という感想ですが、これで良いと思います。気に入らなければ国際的約束も合意も破棄、国際的な約束も平気で反故にする、国家にも国民に順法精神の欠片も無いという事が改めて証明されようとしています。

韓国は愚かです。感情を優先させ、子供じみた行動を繰り返し、日本に一層嫌われ国際的信用をさらに失います。こうした綻びが重なって、長期的には国益の損失や国家の安全保障上の不利益にもつながり、ひいては戦争相手・北朝鮮との戦争に敗れることにもなりかねません。それが分からない、または分かっていてもやってしまうのですから愚かです。慰安婦に拘り過ぎて国を滅ぼす事を望むなら勝手にそうすれば良いと思います。

2016年12月19日月曜日

吉見義明教授が「慰安婦捏造」裁判で高裁でも敗訴


http://www.asahi.com/articles/ASJDG3QBBJDGUTIL010.html
(朝日新聞より)

中央大学の吉見義明教授と言えば、「慰安婦=性奴隷」説のアカデミックな面での理論的支柱であり、朝日新聞と共に左の側から慰安婦問題を推進してきた中心人物の一人です。

特に1992年1月11日に朝日新聞の慰安婦キャンペーン記事の決定版として「慰安所軍関与」が1面トップで出ましたが、ネタ提供元となったのが吉見氏でした。この4日後の首相訪韓を狙い撃ちした記事はタイミングも効果も満点でした。

1992年1月:宮澤首相が訪韓時に8回謝罪

1992年7月:加藤紘一官房長官談話

1993年8月:河野洋平官房長官談話=慰安婦問題の確定・固定化

との流れを決定した記事だったわけです。この吉見=朝日の共同作品とも言える記事はそれまでの吉田清治記事や被害者金額順さん本人が登場した植村記者の記事で入念に準備してきた「慰安婦問題」の集大成となる役割を果たしました。その意味で、吉見氏は朝日新聞、福島みずほ・高木健一・戸塚悦朗等の各弁護士らと並ぶ慰安婦問題の主犯格の一人と言って良いでしょう。

この訴訟ですが、橋下徹大阪市長・日本維新の会代表(当時)が慰安婦問題に関する発言を行い内外に波紋が起きていた時に、当時同会の国会議員だった桜内文城元衆院議員が記者会見の場で司会者が吉見氏の慰安婦本を紹介した際「これは捏造」と発言した事について、吉見氏が名誉棄損だ、として起こされたものでした。

吉見氏は「(吉見の著書が)捏造と言われたから名誉棄損だ」と主張、桜内氏は「(慰安婦問題自体が)捏造だ」との主張で、認識の相違があるようですが、いずれにしても「『慰安婦は捏造』が名誉棄損かどうか」というのがこの裁判の焦点です。

結果は、あっさり原告(吉見氏)の控訴棄却という事でした。

何度かお伝えしてきたように、慰安婦問題における朝日新聞の責任を問う裁判も原告側が負けておりますが、「慰安婦問題推進」の側も負けているという形となりました。吉見氏の裁判は、左派・リベラルが大結集して支援していますが公式サイトには「世界市民が国際署名をした」とあります。また、吉見氏を支持する研究者のサイトもあります。

朝日新聞やその仲間の法的責任を追及する事は難しいものの、一般国民がきちんとメディアを検証・監視できるようになり、少なくとも慰安婦捏造や反日活動、情報操作をやりたい放題という時代は終わったものと思います。