12月30日の第3回は熊谷奈緒子さんです。「慰安婦問題」という著書もあるようです。
http://www.asahi.com/articles/ASGDW760BGDWUTIL01M.html
色文字部分が私のコメントです。
(慰安婦問題を考える)実態の究明、一刻も早く
熊谷奈緒子さん(国際大学大学院専任講師)
朝日新聞による8月の特集以降、慰安婦問題は 「おわび」や「政治的意図」をめぐるメディア問題になった。ただ、先日出された第三者委員会の報告では、先入観や思い込みを排し、一部の情報源に過剰に頼らない、など納得できる指摘・提言も数多くあった。これを踏まえ、今後は問題解決に向けた議論を深めていかなければいけない。
まず、慰安婦問題を巡る現状を整理しておきたい。
「軍による強制連行がなければ日本に責任はない」という主張がある一方で、「意に反して自由を奪われた」という「強制性」が問題だという論調もある。前者は公文書に重きを置くあまり裁判で認定されるなどした証言を考慮しようとしない。後者は逆に、被害者に寄り添うあまり客観的に事実を把握しようという姿勢に欠ける。
海外ではどうか。「強制連行を示す文書は見つかっていない」という主張は
「言い訳」「日本は反省していない」と受け止められている。女性の人権が侵された事実に重きを置いているからだが、「性奴隷」「20万人」など被害の実態や数について明確な根拠に基づかない事実誤認も見受けられる。
「女性の人権侵害」ですか。この方に限らず、最近では朝日新聞など「強制連行」が崩れてからは拠り所になっていますね。これについては後ほど触れます。
こうした問題の複雑性や国内外で見られる認識の齟齬(そご)にどう対応していけばいいのか。
まず日本は、旧日本軍が関与した慰安所で心身にわたり癒えないほどの傷を与えてしまった被害者へのおわびの気持ちを一貫性を持って伝えることだ。
「慰安所で心身にわたり癒えないほどの傷を与えてしまった被害者」ということですが、はっきしてもらいたいのはそう言った「被害者」というのは元慰安婦全員なのか?それとも当時の法や社会常識に照らし合わせてみても犯罪被害に遭って酷い扱いを受けた人(例えば誘拐、レイプ被害者など)の事なのか?被害者というのは朝鮮人なのか、日本人も含むのか?非常に曖昧だと思います。
その象徴として、政府は河野談話の継承を明言して、日本の責任を否定するような「問題発言」があった場合は即座に打ち消して、相手の不信感を取り除く。
これは駄目でしょうね。河野談話の文書中には「強制連行」認定の文言は無かった訳ですが、河野氏は記者会見で口頭で強制連行を認めています。私はこれは河野氏の脱線や暴走ではなく当時としては散々やり取りした上で韓国側の要求に対し「文書には残せないが補足として口頭でここまで言いましょう」というぎりぎりの善意の政治的判断だったと思います。「書けないが口頭で」というのはあります。それを逆に利用されてしまった。私の理解では「河野談話」とはその文書のみならず河野氏が会見で口頭で話した内容も含めてのセットになって世界に拡散・理解されているものと思っています。しかも昨年の作成過程の検証で明らかになったように河野談話は内容が事実に基づかない可能性があるのは承知の上での問題の幕引きのための政治文書だったわけです。日本では100%自分が悪くなくても、また100%事実ではなくとも「すみません」などと言いますね。それに対して相手が「謝罪したという事は自分の罪を認めたことだな?では罪を認め賠償しろ!」と責めることもありません。ところが世界の常識では一般にこういうものは通用しません。「謝罪=事実である」であり、罪を認めたことになります。「全て事実ではなかったけど韓国との関係をスムーズにするためにとりあえず河野談話で謝った、それで問題は終わりになる約束だった」などというのは世界では理解されません。中国ではたとえ事実でも死んでも罪は認めない・謝らないという文化もありますね。この方もニューヨーク市立大大学院で政治学博士号を取ったのならばこの辺の事は当然分かるでしょうに。
市民と政府による償い事業としては多くの被害者から拒否されたアジア女性基金について、評価される点と教訓を引き出し、今後の和解策を探る。
「多くの被害者から拒否されたアジア女性基金」という事ですが、韓国社会で政治的意図を持って受け取りを拒否させる動きがあった事は前々回の大沼氏のところでも書いた通りです。それと、これは私は存じませんが韓国人以外に受け取り拒否者はいたのでしょうか?仮にいたとしてもおそらくは韓国ほど高い割合ではいなかったと思います。実質「他国では受け入れられたが韓国のみから拒否されたアジア女性基金」だったのではないでしょうか?
韓国政府は当初、日本の法的責任を問わず、金銭的な補償も求めず、アジア女性基金にも一定の評価をしていた。日本国内で無用な不信感を募らせないためにも、韓国側の対応にも一貫性を期待したい。
「韓国側の対応にも一貫性を期待したい」というのは全くその通りだと思います。「河野談話さえ出してくれればそれで終わりにする」と言って騙して裏切って、相手の善意を逆手に取って攻撃を強めたのは誰ですか?また、「安倍総理が慰安婦問題について前向きな姿勢を示さない限り会わない」などと自分の言い分を全く譲らずに話し合いさえ拒否しているのは誰ですか?今日もまた大統領が「首脳会談はすべきだが、日本側の姿勢の変化が重要だ」と言っていましたね。一体何度目でしょうか?任期終了までこれでしょうか?
同時に日韓が協力し、女性が慰安所に至るまでの経緯や慰安所での実態など真相究明を急ぐことが大切だ。戦時中の資料の多くは破棄されたとされるが、まだ精査されていないものが官庁には多く残されているという。首相がリーダーシップをとって関係省庁に調査をさせるのも一案だ。
これは賛成です。やれば良いと思います。ここまで大きな問題になっているので、しっかりとさらに真相を究明するのは良い事でしょう。私が思うに文書だけではなく、戦後70年とは言え世界一の長寿国日本には元兵士や日本人元慰安婦などまだしっかりした90歳代のご老人がご健在で、当時についての証言も得る事は可能だと思います。
元慰安婦の証言などを調べていく場合、被害者対加害者という絶対的な構図を認めながら、
「被害者対加害者という絶対的な構図」ってこれは研究者としてアウトだと思います。ちょっと前に「真相究明すべき」「元慰安婦の証言などを調べていく」と言いながらその究明もせぬまま「被害者対加害者という絶対的な構図」とは何を言っているのでしょうか?調査する前からなぜ結論が出ているのでしょうか?またどういう調査結果が出ても「被害者対加害者という絶対的な構図」は変わらないとでもお考えなのでしょうか?調査するにしても結果を先入観無しに精査する姿勢が必要ではないでしょうか?思考停止と言って良いと思います。
親に身売りされた▽朝鮮人の業者にだまされた▽「日本兵」に連れて行かれたといったケース、境遇についても、たくさんの給与をもらっていた▽戦地に送られ帰りたくても帰れなかったケースなど地域や年代などに応じた多様な実態と事実をたんたんと積み重ねていく必要がある。
この部分は他の部分に比べて比較的バランスが取れていると思います。
同様の姿勢はメディアにも求められる。「主張」はその上でするべきだ。
軍の組織や指揮系統の理解、「性」の問題ゆえの証言収集の難しさなど、解明には忍耐強さが求められる。同時に公娼(こうしょう)制や女性の権利など今の価値観とは異なる時代状況や当時の教育事情、筆舌に尽くしがたい経験をしたことなどを勘案しなければ、時に食い違いやあいまいさを見せる被害者の証言を理解することはできないだろう。
「今の価値観とは異なる時代状況や当時の教育事情」というのはその通りだと思います。日本が頑張って併合時識字率が4%しかなかった朝鮮がそれなりに発展したとは言え、30年で国が変わるのは限界がありました。当時教育水準の低い貧困家庭の若い女性が稼ごうと思えば選択肢は大変限られていました。これは何も朝鮮半島の事だけではなく、日本本土も同様でした。2人に1人が4年制大学に行ける現代とは違い、当時は女学校に行ければ良く、せいぜい女子師範学校の時代ですよ。女性には選挙権すらありませんでしたよ。日本人もです。もちろん当時も売春は世間的に誇れた職業では無かったでしょうが、当時は今と違って合法でした。
ここで少々当時の価値観についていくつかの例で考えてみましょう。
まずは国家の独立と植民地というものについて。現在国連加盟国は200弱ありますが、1945年当時ざっとその2/3の国は植民地であったりして独立していませんでした。例えば当時の植民地を明日からいきなり1945年当時に戻すとします。激怒する人大勢ですよね。
次に選挙権です。女性の選挙権の観点で見てみましょう。主要国で見ます。(ちなみに主要国と言えば、中国では現在でも女性だけではなく男性も参政権はありませんね)
1917年 ソ連で女性参政権
1919年 ドイツで女性参政権
1920年 アメリカで女性参政権
1928年 イギリスで女性参政権
1945年 日本で女性参政権
1945年 フランスで女性参政権
例えば明日からいきなり女性の選挙権を無い状態に戻すとします。発狂する人多数ですよね。
もちろん「今の価値観」で見れば、植民地も女性の参政権が無かった事など、悪い事でしょう。あなたの国を今植民地にしたら、また、女性参政権を無くしたら、現代に生きる多くの人にとっては許し難い事でしょう。しかし、当時はそういう時代でした。それを後になって遡って断罪しますか?
それから、今の価値観とは違う当時の価値観で見た場合にどういう判断が下されたのか、というのも重要なポイントです。70年前は人権の基準も全く違いました。これは大変重要ですが、日本の慰安婦制度については当時の価値基準で問題にするに値しないと米国が判断を下しています。1944年のビルマで捕虜になった朝鮮人慰安婦について詳細に調べた報告書もあります。調べたのは素人ではなく米軍のプロパガンダ専門部隊です。その報告書が「朝鮮人慰安婦20名を3週間以上調べたが問題なし」と結論を出しています。東京裁判も同様です。後出しじゃんけんで「平和に対する罪」「人道に対する罪」などで裁きながら慰安婦の「い」の字も出てきません。さらには20年後の韓国政府自身もそうです。現在これだけ騒いでいる韓国政府自身が、1965年の日韓基本条約締結まで、またその後も1990年代まで問題視していませんでした。散々議論を尽くした日韓基本条約の請求権交渉の中でも徴用者・徴兵者の請求権の話同様、慰安婦についても「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国して来たものがある。」(1953年5月19日の請求権委員会第三次会議張基栄韓国外交委員会委員)として、慰安婦として働き稼いだが、置いてきた財産があるので返してくれ、との要求のみでした。女性の人権問題?被害者?当時そんな事言っていませんでした。そう、当時の米国政府他連合国各国や韓国政府自体「(今言っているような形で)慰安婦については罪を問うに値しない」という結論、いわば無罪判決(または不起訴処分)を出していたのです。それを数十年経った後に騒いでいるのです。全部後付けです。一事不再理はご存知でしょうか?
慰安婦問題は日韓基本条約で法的には「解決」済みだ。日本の償いはあくまで人道的、道義的なものであるべきだ。法的補償を求める韓国や日本の一部団体は「道義」という言葉を「責任逃れ」と拒否するかもしれないが、法も超越した倫理観としての道義と、それに基づくおわびの姿勢を冷静に見てほしい。
「法的には解決済み」の部分は全く同意です。ただ、法的に解決済みのものについて「法も超越した道義的なおわび」というのは今一つよく分かりません。アジア女性基金を含めてこれまでもおわびはしてきているし、何度お詫びをすれば良いのでしょうか?
一連の作業を前提に、アメリカやソウルでの慰安婦記念碑や像に刻まれた「20万人」の被害者数などの誤った認識について修正を求めていけばよい。真相究明のためであることが伝われば、「言い訳」には映らないだろう。
被害者は高齢化している。一刻も早い取り組みが求められている。(聞き手・清水大輔)
修正を求めるべきは「20万人」という数字だけではありません。あれらの像や碑文には「強制的に連れ去られ、性奴隷にされた」旨書いてありますよ?「誤った認識」というのは「20万人」だけではなく「慰安婦問題が存在する事」そのものだと思います。
最後に「被害者」という表現についてです。なぜ「元慰安婦=被害者」と決めつけるのでしょうか?その呼び方自体が誤解を拡大再生産し、事実を歪めていませんか?どういう意味でしょうか?基準は何でしょうか?この方は現代のアダルトビデオ出演女性や自らの意志でセックスワーカーとして働いている女性たちも皆「被害者」と呼ぶのでしょうか?私には本質的には国家が関与していたかどうか程度の差異しか感じられませんが。
では日本人元慰安婦はどうでしょうか?現在海外で売春をして稼ぐ韓国人女性はどうでしょうか?現在裁判をしている在韓米軍元慰安婦(洋公主)はどうですか?
全員「被害者」ですか?
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くまがい・なおこ ニューヨーク市立大大学院で政治学博士号取得。専門は国際関係論。著書に慰安婦問題の推移と全体像をまとめた「慰安婦問題」がある。
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