2014年12月24日水曜日

植村隆氏が今度はハンギョレ新聞に登場

本当に植村隆氏ばかり取り上げたくないのですが、最近良くメディアに出るので、再度取り上げる事となります。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19119.html

今回は「韓国の朝日新聞」ハンギョレ新聞です。植村氏も全く出てこないよりは良いかも知れませんが、ホームと言いますか安全なお仲間のグループ内で一方的にご自分の主張を述べるだけではなく、そろそろアウェー、例えば産経・読売または文春・新潮あたり、さらには一方通行ではなく、討論会などにも堂々と出て来てはいかがでしょうか?

以下は本記事のポイントと思われる点の抜粋です。それに対する考えを赤文字で記載します。

彼は1991年8月11日、「朝日新聞」大阪本社版に、自ら日本軍慰安婦であったことを初めて公に明らかにした金学順さん(1924~1997) に関する最初の記事を書いた人物である。彼は日本の右翼にとって、慰安婦に関する「捏造記事」を書き、日本の名誉と国益に限りなく大きな傷を残した「売国 奴」だ。しかし、慰安婦問題を解決することが、より良い日本と平和な東アジアを作り上げる第一歩になると信じる革新勢力にとっては、崩れてはならない重要な「砦」となっている。

なぜ植村氏が注目されているのか?それはここにもあるように、初めて慰安婦と名乗り出た金学順さんを、初めて記事(記事中は実名は出さず)にした記者だからだと思います。世界で初めてですね?

また、ここに書いてある通り、彼は「革新勢力」に祭り上げられ、まさに崩れかかっている「朝日的なもの」の象徴になっていると思われます。それはもうご自身も分かっていて今の活動をやっているわけですよね?


「攻撃の始まりは、1月末発売の「週刊文春」(発行日基準では2月6日号)だった。記事のタイトルは「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様大学教授に」だった。 慰安婦捏造記事を書いた植村が、4月から神戸松蔭女子学院大学の教授になるという内容だった。数日後の1月31日、学校の事務局長から会いたいと電話がき た。そして、2月5日、 神戸のホテルで副学長、事務局長と面談した。私は記事を捏造していないのだから、きちんと説明すれば学校でも理解してくれると考えた。そこで説明資料を取 り出したところ、大学側では「記事の真偽とは関係なく、このままでは学生募集などにも影響が出る。松蔭のイメージが悪化する」と述べた。

「私は記事を捏造していないのだから、~そこで説明資料を~」捏造していないのなら、また、資料まであるのであれば、神戸でやろうとしたように大きな疑念・疑問を持っている国民相手にも説明していただけないでしょうか?


- あなたがこのようにとんでもないバッシングを受けるようになった原因は何だと思うか。

 「今の状況は自分も時折実感がわかない。金学順さんの初の証言が出たころ、私と同じような記事を書いた人は多かったのに、なぜ私だけがこのようなバッシングを受けるのか、理解できない。私が金学順さんの証言を最初に書いた経緯はこうだ。<朝日新聞>大阪本社社会部時代の1990年、当時のデスクが夏の平和企画として、韓国にいる慰安婦の女性を探してみようというアイディアを出した。それでその年の夏、2週間ほど韓国を回って取材した。しかし、歩き回っただけで取材は空振りだった。それから1年後、当時を記憶していたソウル支局長「韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が慰安婦の女性を見つけたようだけど、取材してみないかね」と提案してきた。それで1991年8月10日、 ソウルの挺隊協事務所で、尹貞玉・共同代表から金学順さんの 証言を録音した録音記録を聞くことができた。インタビューではなかったので質問できない状況だったが、長い間沈黙していた韓国の慰安婦女性が初めて歴史の前面に出てきたことだったので、十分記事の価値はあると判断した。右翼は、慰安婦問題が今の ように世界的に大きな問題となったのは、私が金学順さんの証言を報道したからだと主張する。結局、私が推測できる理由は一つ。私の妻が韓国人で、義母が梁順任・太平洋戦争犠牲者遺族会会長だからだ。しかも、義母が戦後補償訴訟と関連して詐欺罪で起訴された事件(8月に無罪が確定)があった。右翼はこれらをもって 、植村が義母のために記事を捏造したという虚偽のプロパガンダを流布させている. 私は1996~1999年のソウル特派員時代には、梁順任の婿が慰安婦問題を書いていると言うバッシングを受けたくなくて、そうした記事はわざと避けていた」

確かに植村氏個人のみを批判するのは個人的には反対です。これは植村氏一個人の暴走であったのではなく、一連の朝日新聞の組織を挙げた「従軍慰安婦日本攻撃キャンペーン」の一部に過ぎず、植村氏は末端の実行者の一人に過ぎません。これは朝日新聞の組織ぐるみの行いでした。その意味で植村氏のみを批判するのはおかしいと思います。ただ、植村氏はそのインパクトから「慰安婦記者の象徴」的な位置づけになっているものと思います。

「録音した録音記録を聞くことができた。インタビューではなかったので質問できない状況」と言いますが、故人ならともかく、金学順さんご本人が4日後には表に出てきて記者会見していたではないですか。なぜ裏取りすらしなかったのですか?
元慰安婦の取材をするスペシャリストとして白羽の矢を立てられ、大阪社会部からソウル支局に呼ばれて行ったと自分で言っているではないですか?そのスペシャリストが現地にわざわざ行ってテープを聞いただけ?まさか金学順さんに会った事も無いと?インタビューできなかった?同時期に天下の朝日ではなく、道新がやっていますが?そして裏取り無し?によって実際に重大な「誤報」をやってしまったではないですか。

義母の梁順任についても触れざるを得ないわけですが、仮に意図的ではなかったにせよ、結果的に利益関係者である彼女に有利となる記事を書いた結果責任についてどう考えるのでしょうか?「意図的では無かった」と主張すれば許されるとお考えなのでしょうか?また梁順任が証拠不十分で無罪と言っていますが、なぜ彼女の同僚が7年6ヶ月もの実刑判決を受けた事には触れないのでしょうか?監督責任もあった可能性もありますし、全くのシロではありませんよ。

「1996~1999年のソウル特派員時代」 に誤解を受けぬよう慰安婦問題を避けていたと主張していますが、1997年末まで存命であった金学順さんについての追加調査、例えば慰安婦となった経緯や挺身隊ではなかった事などいくらでも調査できたでしょう。記事にしないまでもなぜ放置したのですか?


-日本の右翼があなたを「捏造記者」と呼ぶことについてどう思うか。

「捏造記事は書いていない。私への批判は、金学順さんに関する記事で 「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」を混同して書いたということであり, も う一つは、金学順さんが 慰安婦として連行される前に キーセン学校に通った事実に言及しなかったという点だ。だが、 慰安婦問題が初めて露わになった 時、韓国では慰安婦と挺身隊を同義語として使っていた。また、キーセン学校は酒の席で踊りを踊ったり楽器を扱う方法を学ぶ場所で、そこに入ったからといっ て必ず慰安婦になるわけではない。私を批判する<読売新聞>の当時の記事を見ても、挺身隊と慰安婦を混同したり、金学順さんがキーセン学校に通った事実に触れない記事がある。金 学順さんが「強制連行」されたとも書いていない。個人的には朝鮮では慰安婦の強制連行はなく、少なくとも今までは、これと関連した資料は発見されていない と思う。金学順さんも一貫して言っていることは、 強制連行ではなく「だまされて行った」「意に反して行った」ということだ。私は記事に「女子挺身隊の名 で連行され、日本軍を相手に売春行為を強いられた」と書いた。ここでの「連行」は、 まともな人たちを狩りをするようにつかまえるという意味の強制連行で はない。嘘であることが暴露された 吉田清治証言(自分が済州島で女性狩りをするように強制連行したと語った証言)に基づく記事は1本も書いていない」

ここが最終防衛ラインなのでしょう。今さら「実は意図的な捏造でした」とは言えないのでしょう。しかし客観的に見て、意図的でなかったと考えるのは大変難しいのが常識的な感想でしょう。「キーセン学校の件を隠した」事に触れていますが、キーセンが必ず慰安婦になるわけではない?ごく一部を除き、売春稼業に携わる事になるのは多くの人が理解しているところですが?

それに「女子挺身隊の名で連行され」とは書いたが、「強制連行」されたとも書いていない?あのですね、植村さんや朝日新聞はプロのジャーナリストでしょ?愛する朝日新聞のやっている「コトバンク」では


「連行する」

・(犯人などを)つれていくこと。「容疑者を-する」
・本人の意思にかかわらず、連れて行くこと。特に、警察官が犯人・容疑者などを警察署へ連れて行くこと。「犯人を―する」


と出ていますよ?「連行された」と言えば、普通の日本語力があれば公権力(軍や警察)によって無理やり連れて行かれる、という意味なのです。まさか「実は朝鮮人売春ブローカーに連れて行かれました」とは理解しないわけですよ。


それから、金学順さんや植村氏の義母達が1991年12月に開始した裁判の訴状でも「女子挺身隊」は出てきませんね?

これでもまだ、繰り返し「意図的な捏造ではなかった」と言い張るのでしょう。ただ、再度言いますが、「意図的ではなかった」と言えば全て許されるのでしょうか?結果責任や過失責任というものを考えた事がありますか?


- あなたが右翼からとんでもないバッシングを受けていたころ、<朝日新聞>では慰安婦記事に関する検証記事を発表した。


「8月5日 <朝日新聞>が 慰安婦記事を検証し、私が書いた記事は 「捏造ではない」と確認した。私はこれで自分の名誉が回復するものと思っていた。こうした流れのなかで、10月6日全国の学者、弁護士、マスコミ関係者ら444人が集まり、「負けるな北星!の会」を作った。そして、12月17日 北星大学が私との非常勤講師契約を1年延長すると発表した」「私 は日本を愛する愛国者だ。日本がアジアで尊敬される国になることを願っている。 そうなるためには、私たちが周辺国に謝罪することがあるなら謝罪し、直す べき点があるなら直すべきだと考える。過去の問題をきちんと解決しなければ、アジアの中で日本は尊敬や信頼を勝ち取れない。私が金学順さんの記事を書いた のは32歳の若い時だった. 当時 「太平洋戦争開戦から50年が過ぎ、ようやく歴史の暗部に光が当たろうとしている。この歴史に対して、われわれ日本人は謙虚であらねばならない。これを放置することは、ハルモニたちを見殺しにすることに他ならないのだ」と書いた。これは若き日の植村が、56歳 になった今の植村に投げかけた言葉だと思う。これまでは慰安婦問題をあえて避けてきたが、これからはこの問題に目をそらさず直視したい。攻撃されて逃げ場 所がないから闘うしかない。いまの日本には歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しようとする勢力がいる。しかし、それに屈しないと声を上げる人々もい る。来年も学生たちを教えられるようになったこ とが何よりうれしい。 私は捏造記事など書いていない。これからも不当な攻撃に屈せず闘っていこうと思 う」

「私はこれで自分の名誉が回復するものと思っていた。」って、朝日新聞が捏造ではないと紙面で主張すればそれを世の中が「はいそうですか」と真実として信じてくれると思っているのでしょうか?

私にはこう思えます。植村氏や朝日新聞は元慰安婦のおばあさん達のためというよりも、自分達の信じる主義・主張のために彼女達を用いたのではないか? と。本当にそうだというのであれば、これまでの行動はそれと合致するのか?という疑問があります。さらに日本人慰安婦について一度でも取材を試みた事があったのか?とも。そして、これは植村氏とその応援団にも言えるのではないか?つまり本当に植村氏のため、というよりも自分達の信じる主義・主張のための運動テーマになっているのではないかと?


これからも注目していきたいと思います。

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