今回は「女子勤労挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同について考えてみたいと思います。
「女子勤労挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同は植村氏の記事が初めてではない、という指摘があります。
http://blogos.com/article/94802/
この方の記事をいくつか読みましたが、信頼性の高い内容と言って良いと思います。
時系列に見ます。(一部引用)
・千田夏光氏が著作「従軍慰安婦」で、女子挺身隊のうち従軍慰安婦にされた人が多数いると記述したのが1973年。
・朝日新聞の松井やより記者が、韓国の新聞の「私は女子挺身隊」と言う連載を読んで元従軍慰安婦の事を知ったと書いたのが、1984年11月2日。
・読売新聞が用語解説で、女子挺身隊の名の下に従軍慰安婦にされた人がいると記述したのは、1987年8月14日。
・韓国No1と言っても良い反日団体挺身隊問題対策協議会(挺対協)が設立されたのは、
1990年11月16日。
・植村隆氏の記事が出たのは、1991年8月11日。
なるほど、確かに、植村氏の記事が史上初めて「女子勤労挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同をした、という認識は間違いでしょう。知られた元毎日の千田氏や後に「女性戦犯国際法廷」なるものを開催した朝日の松井氏以外に読売新聞もやっていたのは意外でした。
朝日新聞の8月の検証記事にも当然記載はあります。
http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html
「1944年7月に閣議決定された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという『荒唐無稽なる流言』が拡散しているとの記述がある。」
そうです、「女子勤労挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同は間違った噂レベルで戦時中に朝鮮半島で既に存在していたのです。また、上記の通り、「女子勤労挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同をした新聞記事や著述が植村氏が初めてであったかというと、確かに事実ではありません。
ただ、上記の朝日新聞の挺身隊との混同についての説明である「当時は研究が乏しく同一視」「原因は研究の乏しさにあった。」はどうでしょうか?「ああ、それなら仕方が無い。納得した。問題無い。」という識者は少ないようです。
当の朝日新聞自身が1992年3月7日付朝刊で、韓国人が挺身隊と慰安婦を混同している事情を紹介したソウル特派員記者の記事を掲載しています。「挺身隊と慰安婦の混同に見られるように~」
なんだ、気付いていたではないですか。
そして本件の最大のポイントはここです。それまでの記事とは異なり、金学順さんという、史上初めて実名で「私は慰安婦でした」という人が出てきた大スクープ記事で、本人が「自分は母親にキーセンに売られた」と言っていたにもかかわらず、本人はそんな事言っていないのに「金学順さん(記事中では名前は伏せている)が女子挺身隊の名で戦場に連行された」と書いた事です。
なぜ本人が売られた、と言っているのに、「金学順さんが女子挺身隊の名で(誰かさんによって)戦場に連行された」と本人が言ってもいない事を書いたのか?また、「戦場に連行された」ですから、普通は「朝鮮人ブローカーが募集した」とは考えず、軍や警察等公権力が実行した事を示唆するでしょう。ジャーナリストとしての矜持があるなら、合理的説明が望まれます。そしてこれは植村氏個人にのみ言いたいのではありません。日本有数の新聞社である朝日新聞にも同様の責任があります。
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