2015年7月28日火曜日

【速報】朝日新聞がついに慰安婦報道第三者委報告書の英訳版を公開、ただし約束から大幅に遅れる7ヵ月後、しかも要約版のみ


私はこの問題を何度も指摘してきましたが、ついに朝日新聞が慰安婦報道第三者委報告書の英訳版を公開しました。

ただし、

1 http://www.asahi.com/articles/DA3S11884610.html

のようにこっそりと朝日新聞のサイトに載せているのみであり、記者会見で約束した形式とは違います。

2 約束した年末の時点から大幅に遅れる7ヵ月後であること

3 要約版のみであること

という問題点もあります。

一方で、

http://www.asahi.com/english/articles/AJ201507280007.html

のようにきちんと英語でも「To Our Readers」として案内記事を題している事は朝日らしい姑息な手段が見られず、ここは評価したいと思います。

いずれにしても大きな一歩かと思います。


2015年7月26日日曜日

秦郁彦氏「慰安婦を性奴隷と形容するのは人格的侮蔑である」「『慰安婦=性奴隷』は捏造だ」

日本の慰安婦問題研究のリベラル側の権威である吉見義明教授が「『慰安婦=性奴隷は捏造だ』と次世代の党桜内氏に指摘されたのは、自分に対する名誉棄損である」と主張している裁判において、慰安婦問題の権威である秦郁彦氏が同裁判の被告側証人として意見を述べたのは先日ご紹介しました。

http://www.sankei.com/column/news/150725/clm1507250004-n1.html

秦氏の主張です。「彼女たちを性奴隷と形容するのは人格的侮蔑である

ここで考えてみたいと思います。

秦氏の指摘の意味は「誇りを持って職業として慰安婦をやっていた女性も多いのにそれを無視して慰安婦を性奴隷と呼ぶのは本人達に失礼」、また、「性奴隷と呼ぶべき境遇にあったわけでもない」ということかと思います。

これは現代に当てはめて考えます。AV産業や性サービス産業など現代でも似たようなものはあります。それらに従事する中には嫌でも事情があってやっている辛い人もいるでしょうが、そうではない、好きでやっている、経済的その他の理由で前向きに頑張ってやっている人も一定数います。それら女性たちを全て「悲惨な存在」「性奴隷」と呼ぶべきでしょうか?例えばAV女優の方に「あなたは性奴隷だ、辞めなさい」「あなたは悲惨だ」と言っても「馬鹿にするな、好きで誇りを持ってやっている、余計なお世話だ、職業差別だ」となるかと思います。

吉見教授に何が分かるのでしょうか?

ここでもう一度最近出された色々な意見を振り返ります。

吉見氏「『慰安婦=性奴隷は捏造だ』と指摘されたのは、自分に対する名誉棄損である」

秦氏「彼女たちを性奴隷と形容するのは人格的侮蔑」
秦氏「実態に合わない誇張をし、歪曲して性奴隷という表現を使うのは捏造というほかない」

 
自民党特命委員会「慰安婦が性奴隷であったという韓国などの主張は日本に対する性奴隷」


そして最後に私も「日本軍慰安婦は性奴隷であった」というのは日本に対する名誉棄損であると同時に、元慰安婦の方も必要以上に貶め不幸にするものと思います。


2015年7月25日土曜日

【定期再掲】慰安婦問題で社長謝罪会見での約束を守らない朝日新聞-約束した第三者委員会報告書英訳の海外への送付は半年経っても放置中・・・

(できれば拡散にご協力下さい)

私はこれまで何度も、おそらく5回以上この問題を指摘して来ましたが、あまりに酷いので、エントリとして改めて指摘します。

朝日新聞は昨年8月5日・6日に慰安婦関連記事の長年の「大誤報」を認め、最初は謝罪も無かったものの、追い込まれてついに9月11日に当時の木村社長が謝罪会見を開きました。そして、表面的には反省を示すため、「第三者委員会」を立ち上げ問題の検証をし、その報告書がまとまったのが12月22日、そしてその報告を受けて渡辺現社長らが謝罪会見を開いたのが12月26日の事でした。

そしてその場で朝日新聞としての責任の取り方や今後の対応を問われた際に「第三者委員会報告書の英訳版を国際機関や外国メディアなどに送りたい」と約束しました。記者会見で渡辺社長の上記発言後に役員の西村氏が「外部業者での英訳に1ヶ月程度かかる、これが出来上がった段階で送る」と補足しています。

社長謝罪会見動画:1時間2分頃~
https://www.youtube.com/watch?v=cl7u9NghD0c

朝日新聞記事:真ん中辺り
http://www.asahi.com/articles/DA3S11526917.html

何とこれがいまだに実施されていません。約束してからもう半年以上になります。

慰安婦問題については、今でも従来通りの朝日新聞的な視点で活発に英語でも発信(朝日新聞やその英文サイトの一つAJWで"comfort women"で検索してください)しており、おそらく「第三者委員会報告書の英訳の送付が遅れているのは追加の取材をしていた」などと言うでしょうが、言い訳は通用しません。

これを見てもいかに朝日新聞が反省していないか、これまでの反省が見せかけであったのかがよく分かります。

2015年7月21日火曜日

慰安婦が性奴隷では無い事の考察-避妊はしていた?

慰安婦問題で「慰安婦は性奴隷であった」という主張があります。つい先日も、日本における慰安婦問題を推進してきた吉見教授の「慰安婦は性奴隷説」に触れました。そして韓国やアメリカでも「性奴隷」はセンセーショナルに使われてきました。しかし「慰安婦を性奴隷と呼ぶのは適切では無い」というのは最近自民党や日本政府も主張を初めたり、また多くの日本国民が考えるところです。

今回はこの点について考えます。「慰安婦が性奴隷」であったならば、避妊はしていたのでしょうか?本当に性奴隷であれば避妊はしないでしょう。性奴隷の定義にもよると思いますが、性奴隷に対してご丁寧に避妊をして性行為をするでしょうか?答えは否です。きちんと避妊がなされていました。「突撃一番」という避妊具をご存知でしょう。そうでなければ、それこそ慰安婦達は次々に妊娠していたでしょう。

本当の強姦、性奴隷ということであればベトナム戦争の韓国軍による混血児ライダイハンはよく知られるところです。またこれは強姦ばかりではないでしょうが、米軍の混血児アメラジアンと呼ばれた子供達も知られるところです。ではなぜ日本軍の慰安婦には子供がいないのか、それはきちんと避妊をしていたからです。

「慰安婦はほとんど殺した」や「慰安婦の肉を他の慰安婦に食べさせた」など滅茶苦茶な内容のスリランカ人女性クマラスワミ氏の国連レポートでは「妊娠した場合は強制堕胎をさせた」という記述もありますが、全く根拠のない話です。では妊娠した「性奴隷」を殺していたのか、これも違います。当時経口避妊薬があったわけでもありません。

きちんと避妊をして性サービスの提供をしていた慰安婦について、「性奴隷」説を唱える人達はきちんと説明すべきです。「避妊はしていたが性奴隷だ」という言葉遊びは要りませんので合理的な説明を求めます。

2015年7月19日日曜日

【定期再掲】慰安婦問題で社長がした約束を守らない朝日新聞-すぐやると約束した第三者委員会報告書英訳の海外への送付は半年以上経っても放置中・・・

(できれば拡散にご協力下さい)

私はこれまで何度も、おそらく5回以上この問題を指摘して来ましたが、あまりに酷いので、エントリとして改めて指摘します。

朝日新聞は昨年8月5日・6日に慰安婦関連記事の長年の「大誤報」を認め、最初は謝罪も無かったものの、追い込まれてついに9月11日に当時の木村社長が謝罪会見を開きました。そして、表面的には反省を示すため、「第三者委員会」を立ち上げ問題の検証をし、その報告書がまとまったのが12月22日、そしてその報告を受けて渡辺現社長らが謝罪会見を開いたのが12月26日の事でした。

そしてその場で朝日新聞としての責任の取り方や今後の対応を問われた際に「第三者委員会報告書の英訳版を国際機関や外国メディアなどに送りたい」と約束しました。記者会見で渡辺社長の上記発言後に役員の西村氏が「外部業者での英訳に1ヶ月程度かかる、これが出来上がった段階で送る」と補足しています。

社長謝罪会見動画:1時間2分頃~
https://www.youtube.com/watch?v=cl7u9NghD0c

朝日新聞記事:真ん中辺り
http://www.asahi.com/articles/DA3S11526917.html

何とこれがいまだに実施されていません。約束してからもう半年以上になります。

慰安婦問題については、今でも従来通りの朝日新聞的な視点で活発に英語でも発信(朝日新聞やその英文サイトの一つAJWで"comfort women"で検索してください)しており、おそらく「第三者委員会報告書の英訳の送付が遅れているのは追加の取材をしていた」などと言うでしょうが、言い訳は通用しません。

これを見てもいかに朝日新聞が反省していないか、これまでの反省が見せかけであったのかがよく分かります。

2015年7月18日土曜日

吉見氏「『慰安婦は性奴隷』を捏造扱いされ、名誉毀損された」 自民党「『慰安婦は性奴隷』は日本に対する名誉毀損」

先日ご紹介したように、日本の慰安婦問題を牽引してきた吉見教授が「慰安婦は性奴隷」だというのは同氏の研究の根幹であるらしく、それを捏造扱いされるのは名誉毀損であるとの訴訟を起こしています。ちなみに同氏は以下の4つの点から「慰安婦は性奴隷であった」と考えているそうです。

1 居住の自由
2 外出の自由
3 接客拒否の自由
4 廃業の自由

しかしこれはどうでしょうか?サッと見ただけでも当時の慰安婦には2、3、そして一定期間働けば4もあったと考えられます。

むしろ当時徴兵された日本人男性などはどうでしょうか?そちらの方がよほど権利を奪われた状況だったと考えます。命を落とす確率も高いものでした。また、兵士という境遇は赤紙が来れば拒否はできません。慰安婦の場合は強制的に慰安婦にさせられたケースは多くは無かったものと思います。

吉見氏は「慰安婦は性奴隷であった」というのを捏造と言われ、自分の名誉を毀損された、と主張しています。

一方、先日自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」が『慰安婦は性奴隷であった』というのは日本に対する名誉毀損である」という提言をまとめ、政府に提出するという事です。そして、この考えは多くの日本国民が共有しているものと思います。

http://www.sankei.com/life/news/150717/lif1507170016-n1.html

吉見氏も「自分の名誉が毀損された」と主張していますが、「自分が日本国と日本国民の名誉を毀損した」とは思わないのでしょうか?今回自民党の委員会はそれを示したといえるでしょう。

2015年7月17日金曜日

ついに提訴、元慰安婦達が天皇陛下、昭和天皇、岸信介元首相、安倍首相、産経新聞などを相手にアメリカで

以前元慰安婦達が天皇陛下、安倍首相、産経新聞、三菱重工業などを相手にアメリカで25億円訴訟へという事をご紹介しましたが、ついに提訴に踏み切ったようです。

産経新聞からです。
http://www.sankei.com/world/news/150717/wor1507170003-n1.html

金額や内容(性奴隷とされて人権侵害された)にも注目が行きますが、やはり驚くのは訴えた相手です。

昭和天皇や天皇陛下を相手に、というのはこれまであったのでしょうか?初めてになるのでしょうか?

また、安倍首相はまだあり得るとして、おじいさんの岸信介元首相まで出してきた、というのは正直予想外でした。昭和天皇も女性戦犯国際法廷という疑似裁判劇でやられているとは言え、今回は本物の裁判です。そもそも日本人に故人を訴える、という発想は無いでしょう。

産経新聞や三菱重工?でしょうか、日本企業も対象に入っています。

何かもう、憎い相手を片っ端から訴えた感じですし、「なぜ岸信介なのか?」と思いますが、とにかく嫌がらせをしたいのでしょう。全てを破壊したい、という感じです。

おそらく棄却、という事で終わるでしょうが、注目したいと思います。

2015年7月14日火曜日

慰安婦(=性奴隷)「捏造」をめぐる裁判で吉見義明教授 対 秦郁彦教授


朝日新聞からです。

http://www.asahi.com/articles/ASH7F3K4JH7FUTIL00Q.html

「慰安婦=性奴隷」説を広めてきた日本の左派の中心的存在・理論的支柱であった吉見義明教授が、次世代の党の前衆議院議員である桜内文城氏を「名誉を傷つけられた」と訴えている裁判があります。朝日新聞もこの裁判が無ければ今頃同紙の「慰安婦問題を考える」シリーズに吉見氏を登場させ、自社の援護射撃をして欲しかったところでしょう。

この裁判は橋下大阪市長が慰安婦問題で発言をしていた頃に、桜内氏が記者会見の場で「吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らか」と発言をしたところ、吉見氏が名誉棄損として訴えたものです。桜内氏は「これ」とは「性奴隷」を指すものであるとしており、「性奴隷というのは捏造であった」という話となっています。当然ながら私も慰安婦を性奴隷と呼ぶのは適切では無いと考えています。

昨日の口頭弁論では被告側証人として慰安婦問題研究の第一人者である秦郁彦教授「慰安婦=性奴隷とは言えない」と説明、吉見氏は「その置かれていた境遇からして慰安婦=性奴隷であるというのは自分の研究の根幹」と主張、決着はつかなかった模様です。

ただし、私の見るところ、2014年8月の朝日新聞の誤報訂正を一つの転換点にして「慰安婦=性奴隷」という表現はほとんど見なくなりました。欧米での報道も同様で、「sex slave」が最近なぜか使われなくなり、「comfort women」の表記が中心となっているのが現状です。

「慰安婦」「捏造」「名誉棄損」というキーワードで考えると同種の別の訴訟も起こされており、行方が非常に注目されます。

そして改めて思うのは、「捏造だと言われ自分の名誉が傷ついた」という主張には、自分が「慰安婦=性奴隷である」という主張を繰り広げた事で、1億人以上の日本人の名誉を傷つけた自覚は無いのか、自分の加害性については全く認識が無いのであろうか、という事です。

2015年7月13日月曜日

【定期再掲】慰安婦問題で社長謝罪会見での約束を守らない朝日新聞-約束した第三者委員会報告書英訳の海外への送付は半年経っても放置中・・・

(できれば拡散にご協力下さい)

私はこれまで何度も、おそらく5回以上この問題を指摘して来ましたが、あまりに酷いので、エントリとして改めて指摘します。

朝日新聞は昨年8月5日・6日に慰安婦関連記事の長年の「大誤報」を認め、最初は謝罪も無かったものの、追い込まれてついに9月11日に当時の木村社長が謝罪会見を開きました。そして、表面的には反省を示すため、「第三者委員会」を立ち上げ問題の検証をし、その報告書がまとまったのが12月22日、そしてその報告を受けて渡辺現社長らが謝罪会見を開いたのが12月26日の事でした。

そしてその場で朝日新聞としての責任の取り方や今後の対応を問われた際に「第三者委員会報告書の英訳版を国際機関や外国メディアなどに送りたい」と約束しました。記者会見で渡辺社長の上記発言後に役員の西村氏が「外部業者での英訳に1ヶ月程度かかる、これが出来上がった段階で送る」と補足しています。

社長謝罪会見動画:1時間2分頃~
https://www.youtube.com/watch?v=cl7u9NghD0c

朝日新聞記事:真ん中辺り
http://www.asahi.com/articles/DA3S11526917.html

何とこれがいまだに実施されていません。約束してからもう半年以上になります。

慰安婦問題については、今でも従来通りの朝日新聞的な視点で活発に英語でも発信(朝日新聞やその英文サイトの一つAJWで"comfort women"で検索してください)しており、おそらく「第三者委員会報告書の英訳の送付が遅れているのは追加の取材をしていた」などと言うでしょうが、言い訳は通用しません。

これを見てもいかに朝日新聞が反省していないか、これまでの反省が見せかけであったのかがよく分かります。

2015年7月11日土曜日

世界遺産考その3-これは第二の河野談話である、「forced to work」は6月の時点で安倍首相も了承して決まっていた

当ブログは本来慰安婦問題にスポットを当てていますが、世界遺産の件は慰安婦問題と似た構造の重要な問題であると思いますので、注目しているところです。

追加の情報が出てきて、様子がより分かってきました。前回ご紹介した読売新聞の報道ですが、やはり正しかったようで、今回産経新聞で同じ方向でより詳しい報道が出ました。

http://www.sankei.com/politics/news/150711/plt1507110003-n1.html

残念ですが、6月21日・22日の韓国尹(ユン)外相来日の段階で安倍首相の了解も得た上で「forced to work」表現について日韓双方で合意していたようです。安倍首相・政権はもちろん良い点も多く、一つによって全否定すべきものではないと思いますが、今回の件については失態でした。

「forced to work」とは言ったが、それは徴用である、「強制労働」ではない、奴隷労働条約にも該当しない、こういった事をいくら日本語で主張しても手遅れの感があります。「forced labour」ではないので問題なかった、という事には全くならず、そもそも「forced to work」や「brought against their will」という表現も使うべきではありませんでした。譲歩し過ぎでした。それらにかかわらず、韓国や欧米ではすでに「forced labour」報道が大きく流れています。さらに今後予想される韓国の宣伝工作の能力や執拗さ(粘り強さ)には一目置かざるを得ません。

自民党内でも疑問の声多数のようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150710-OYT1T50154.html

しかし、残念ながら今さら「『forced to work』とは言ったが、『forced labour』」ではない、別物である」と主張しても今度は慰安婦問題でもおなじみの「安倍首相や日本はやはり(不都合な事実を認めない)歴史修正主義者=revisionistである」と言われてしまうでしょう。

このあたりの状況は過去20年以上、河野談話によって日本が苦しんできたことと重なります。「河野談話の文言では慰安婦の軍による強制連行は認めていない」という説明が理解されてきたでしょうか?全く違います。もちろん状況が悪化するのを放置するのではなく、発言の撤回や上書きなど何らかの方法で方向修正は試みるべきであると思います。

上記産経の記事からは色々な事が分かります。

・韓国が世界遺産登録に際して文句を言ってきた
・韓国が約束を破り裏切った
・交渉過程において外務省も「怒号飛び交う」やり取りをしていた
・今回の世界遺産登録は通常の扱いではなく、「首相=官邸」案件とされていた
・「forced to work」案は外務省が大局的観点で準備し、首相が了承した
「forced to work」表現は主に以下を達成することを考慮して使う事を決めた。①国民が待ち望む世界文化遺産への登録②国交正常化50周年を迎えた日韓関係改善③日米同盟強化のための日米韓の連携など
・尹氏らに韓国政府が今回の発言を財産請求権において利用する意図はないと確認している
6月時点で「forced to work」表現は「最後の一線は守って」おり、その表現で問題なしと日本側は判断していた

残念ながら今回の件で日本は慰安婦問題に加えて、徴用工の「強制連行」「強制労働」の問題を生んでしまったものと思います。

2015年7月8日水曜日

世界遺産考-これは第二の慰安婦問題ではないか?その2

 
慰安婦問題と根が同じ可能性のある重要な問題ですので、続報です。

今回なぜ新たな国際紛争の火種である「強制連行」「強制労働」につながる

brought against their will and forced to work under harsh conditions

という表現をしたのでしょうか?

日本側の火消しも虚しく、欧米主要各紙は「forced labour=強制労働」と報道したり、ひどいものでは奴隷労働という報道も見られます。

まだ情報が錯綜しています。青山繁晴氏によると、こういう事があったそうです。

http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=128

1 「官邸から外務省への指示は「登録されないという最悪の結果は避けよ」というだけであった。」

2 「(土壇場での韓国側の反論で)これで外務省と現地組が慌ててしまい、(外務省の?)独走が起きてしまった。」

私は青山氏を信じますが、これを読むと「かなり交渉は任されていた、そして外務省が暴走し、『forced to work』になってしまった」という構図になりますが、本当にそうなのでしょうか?という感想です。なぜならこういった報道もあります。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150706-OYT1T50110.html

「6月28日までの事務レベル協議でbrought against their will and forced to work』(外務省仮訳=その意思に反して連れて来られ、働かされた)との表現で(既に)折り合っていた。

つまり、6月の段階で「brought against their will and forced to work」というのは決まっていたという事になります。

今回の「forced to work」騒動は、元々もっと穏当で問題の無い表現であったものが、現地の韓国側の妨害に遭って登録を優先させるために文言を変えて最終的に「forced to work」に変更せざるを得なくなったと私を含めて多くの人が思ったようですが、読売の報道が正しければどうもそうではなく元々最初から「forced to work」で行く予定であったものが妨害を受けて、奴隷云々という話も出たがそれらを韓国が取り下げて結局予定通りの「forced to work」で決着した、という話かと思います。

では不意打ちを食らって慌てた現地で暴走したという話ならばまだしも、6月の余裕のある段階でなぜ「forced to work」というまずい表現で決まっていたのでしょうか?まだまだ謎が残ります。

2015年7月6日月曜日

世界遺産考-これは第二の慰安婦問題ではないか?


「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決まりました。これは一見慰安婦問題に関係無い様に思う方もおられるかも知れませんが、大有りだと思います。むしろこちら(徴用工の請求権)が本命という話もあります。

韓国の横槍が無ければ、本来は喜ばしいニュースでした。日本の大切な歴史であり、誇りです。

ところが、ご存知の通り韓国の妨害を受けました。

http://www.asahi.com/articles/ASH755G12H75UHBI015.html

これは大変憂慮される事態です。上の朝日新聞の記事に、

「審議の来年以降への延期や投票による採決といった大きな禍根を残す事態は回避した」とありますが、残念ながら大きな禍根が残ったと思います。

「強制労働」文言使われず、ともありますが、日本政府代表が実質的にそれを認めてしまいました。


http://www.sankei.com/world/news/150706/wor1507060028-n1.html

菅官房長官や岸田外相が「強制労働を意味しない」と言っても駄目です。以下にポイントを述べます。

1 朝鮮人の徴用について日本側は「働かされた」と言っていますが、韓国側は「日本が初めて『強制労働』を認めた」と喜んでいます。しかし、いくら日本側でそう強弁しても英語で

brought against their will and forced to work under harsh conditions

ではどうしようもありません。これを見た外国人に「強制ではない」と言っても理解はしてくれません。

2 forced to work =「働く事を強制された」について議論がありますが、ひょっとすると代表団としては forced to work under harsh conditions = work under harsh conditions をforceされた=「『苛酷な環境で働く事』を余儀なくされた」と言いたかった、と釈明をするかも知れません。しかしそんなものは通用しないでしょう。いつの間にか奴隷労働のストーリーが作られるかも知れません。

3 「徴用」について考えてみます。確かに、徴用に強制性が無いかと言えばあります。でもそれを「強制労働」と呼ぶでしょうか?例えば
強制徴兵
強制徴税
強制納税 
強制兵役
と言うでしょうか?否です。

4 朝鮮人の徴用は1944年からであり、例外を除き給与も払われていました。

5 当時の日本国民は皆それらを含めた何らかの義務を負っていました。日本人も台湾人もです。

6 今回の交渉で韓国は「請求権での要求はしない」と述べたそうですが、本当に大丈夫でしょうか?そもそもこの世界遺産登録自体、たった2週間前に両国の外相で協力を約束しましたね?

7 「『強制性』を認めて謝罪をしてくれればそれで問題を終わりにする、賠償も請求しない」という話を思い出します。何かに似ていますね、そうです河野談話です。その後はご存知の通りです。

8 今回、条件付き、しかも大きな禍根を残してまで無理に登録すべきでは無かったと思います。確かに各地元や代表団は目先の事に関心があったでしょう。焦ったのでしょうか。しかし、第二の慰安婦問題を作ってしまったとしたら、取り返しがつきません。

9 これまでの韓国の行いを見ても、このまま相手が約束を守り、大人しく引き下がるとは到底思えません。なぜ韓国に騙され続けるのでしょうか。なぜ教訓を生かさないのでしょうか?相手は韓国です。最悪を想定すべきです。

最後に感想としては正直非常に残念です。

2015年7月5日日曜日

朝日新聞の気合の入った反撃記事-慰安所が日本軍の施設であったことを証明した!大発見だ!

追い込まれていた朝日新聞が慰安婦問題で本格的に反撃モードに入った事は感じておりましたが、この度気合の入った反撃的な記事が出ましたのでご紹介いたします。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11836618.html

なお、こちらの記事は、最近ではほとんんどの朝日電子版の記事はそのまま全てを読むことは出来ず、「無料登録をして続きを読む」という扱いとなっておりますが、本記事は全文を読むことが出来ます。朝日新聞の「是非この自信作を読んで下さい、そして世に広めて下さい」という意気込みを感じます。

しかし、この記事は色々な問題があります。これらを指摘していきます。

1 慰安婦・慰安所に軍が関与していた事など1992年1月の宮澤首相訪韓の直前を狙った朝日新聞の1992年1月11日付け「慰安所軍関与示す資料」の記事もありましたし、研究者の間ではその前から常識でした。中曽根元首相の手記やフジ鹿内会長の話もあり、広く知られていました。大体、軍の慰安所は戦場にあるわけです。軍の関わり無しに慰安所の建設、物資面でのサポート、移動でのサポートなど民間業者に安全にできるはずがありません。当時としては戦場という極限の環境における合理的な協力関係、今で言えば官民連携であったでしょう。

2  朝日新聞社長は謝罪会見で「これからはもっと多様な意見を載せて紙面で言論を斬り結ぶ」と格好をつけた言い方をしていましたが、その後の半年以上ずっと見てきた中で全然それが実現していません。相変わらず従来どおりに非常に偏った人選・主張内容です。

3 慰安所施設(建物)が軍の所有する施設であった事と、慰安婦が人権侵害行為を受けたかも知れない事は直接は関係ありません。現在でも国営(官営)ギャンブル施設もありますよ。価値観の変化した70年後の2085年に「競馬やパチンコは人道に対する罪であった」と裁きますか?

4 この記事は大枠では①慰安所は軍のものであった②だから慰安婦問題は軍の責任である。という構成ですが、下記内容を見ていくと、色々なボロも出てきます。

では次に詳細に見て行きたいと思います。

 慰安婦や慰安所の実態はどこまでわかってきたのでしょうか。1993年、当時の河野洋平官房長官は「河野談話」で、慰安所の設置、管理に旧日本軍が関与していたことを明らかにしました。警察や軍の公文書などの資料をもとに、慰安所は軍の施設として設置されたことを明らかにした永井和・京都大大学院教授ら歴史研究者に、「河野談話以降」の研究の現状について聞きました。

 ■募集や渡航、軍が警察に協力を要請 慰安施設設置のため、軍の規則改定
 ――研究を始めた経緯は。
 「1998年に授業で慰安婦問題をめぐる歴史論争を取り上げたのがきっかけで、慰安所成立の経緯を史料に即して解明しようと考え、2000年に最初の論文を発表しました」
 ――明らかになった事実は。
 「日本軍の慰安所は軍が設置した軍の後方施設であることを軍や警察の公文書で実証しました。軍の組織である以上、軍は慰安婦問題に対する責任を免れないことになります。『慰安所は戦地における公娼施設、つまり民間の売春施設であり、軍に責任はない』という主張への批判でもあります」

・・・中曽根元首相などの証言などから「慰安所は軍の施設」というのは大昔から分かっていたはずですが。しかしその事で、「慰安婦問題の全ての責任が軍にある」と言うならば論理の飛躍でしょう。

 ――慰安所が作られた経緯は。
 「日中戦争開始直後の37~38年、内務省警保局が慰安婦の募集や渡航に関して発したり報告を受けたりした一連の警察関連文書(資料〈1〉~〈5〉、〈7〉)が96年、警察大学校で見つかりました。当時、中国戦線で日本軍が慰安所を設置し、女性を募集した経緯が詳しくわかります」
 「まず37年12月、中国に展開した中支那方面軍で『将兵の慰安施設の一端』として『前線各地に軍慰安所』を設置するよう定められました。上海の 日本軍特務機関と憲兵隊、日本総領事館が業務分担協定を締結。軍の依頼を受けた業者が日本内地と朝鮮に派遣され、『皇軍慰安所酌婦3千人募集』の話を伝えて女性を集めました(資料〈1〉、〈2〉)」

・・・『皇軍慰安所酌婦3千人募集』ですか、随分とオープンですね。

 ――警察の対応は。
 「事情を知らない地方警察にとって当初は信じがたい話だったようです。なにしろ軍が公序良俗に反する人身売買と売春の事業に着手し、公然と募集することになるのですから、軍の威信を失墜させかねない(資料〈3〉)。『民心とくに兵士の留守家庭に悪影響を与える恐れがある』として、募集活動を取り締まろうとしました(資料〈4〉)」
 「和歌山県の警察は『軍の名をかたり売春目的で女性を海外に売り飛ばそうとしたのではないか』とみて、刑法の国外移送目的拐取の疑いで業者を取り 調べました。しかし大阪の警察に問い合わせた結果、軍の依頼による公募とわかり、業者は釈放されています。大阪など一部の警察には事前に内々に軍からの協力要請が伝えられていたのです(資料〈2〉)」

・・・あれ?「公然と募集」ですか?やましい事では無かったのでしょうね。「公然と募集」であれば強制連行はどこに行ったのでしょうか?

・・・それから「和歌山県の警察」ですか?朝鮮半島はどこに行ったのですか?

 「各地の警察の取り締まり方針を知った内務省は38年2月、軍の要請にもとづく慰安所従業婦の募集と中国渡航を容認するよう通達し、慰安婦の調達に支障が生じないようにしたのです。同時に軍の威信を保つため、軍との関係を隠すよう業者に義務づけることも指示しています(資料〈5〉)」
 ――同じ時期に軍が出した公文書もありますね。
 「陸軍省は38年3月、女性の募集にあたっては地方の憲兵や警察当局と連絡を緊密に取るよう、中国に駐屯する日本軍に命じました(資料〈6〉)。同時期の警察文書と強い関連性が認められます」
 「38年秋には、中国・広東攻略のため派遣された第21軍が参謀将校を東京に派遣し、慰安所で働く女性400人を渡航させるよう内務省に協力を要請しました。要請を受けた内務省は11月、大阪、福岡など各府県に女性の募集人数を割り当て、業者を選定して中国に送るよう手配を命じました(資料〈7〉)」

・・・またまた内地の「大阪、福岡など各府県に女性の募集人数を割り当て」ですね、朝鮮半島はどこに行ったのですか? 

 ――慰安所を民間ではなく軍の施設とする根拠は。
 「陸軍大臣が日中戦争開始後の37年9月に『野戦酒保規程』という規則を改定した記録を04年、防衛庁防衛研究所(当 時)の所蔵資料から見つけました。軍隊内の物品販売所『酒保』に『慰安施設を作ることができる』との項目を付け加える内容です(資料〈8〉)。上海派遣軍 参謀長は12月、『慰安施設の件方面軍より書類来り』『迅速に女郎屋を設ける』と日記に記しました(資料〈9〉)。派遣軍が『慰安施設』として『女郎屋』 を設けたことを意味しています」
 「41年に陸軍経理学校教官が経理将校教育のため執筆した教材(資料〈10〉)にも『慰安所の設置』が業務の一つと記されました。当時、陸軍経理学校で学んだ人は『調弁する女の耐久度とか消耗度』を記したマニュアルがあった(資料〈11〉)と証言しています」
 ――軍が慰安所設置を業務にしていったということですか。
 「そうです。慰安所は民間業者が不特定多数の客のために営業する通常の公娼施設とは違います。軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、軍の編成の一部となっていました」

・・・これは上で述べてきたように1980年代から分かっていた事ですし、常識で考えても分かります。

 ――慰安所制度の問題点は。
 「戦前でも公娼制度は、廃止論者から『人身売買に依る奴隷制度にして人道に反す』と批判されていました(資料〈12〉)。内務省は女性の自由意思を保障するためとして娼妓取締規則を定めましたが、軍慰安所についてはその程度の規則すら見つかっていません。慰安婦制度が『人身売買による奴隷制度だった』と批判されても仕方がない。紹介手数料として女性側が負う前借金の1割を軍部が紹介業者に支給するという趣旨の業者の供述(資料〈4〉)もあり、事実なら軍が人身売買に直接加担したと言っても過言ではありません」

・・・自信があるなら「軍慰安所についてはその程度の規則すら見つかっていません。~批判されても仕方がない」「事実なら~過言ではありません」と言わずに断言して下さいよ。

 「慰安婦募集の際、業者が『いい仕事がある』と女性をだまして連れ出す就業詐欺や誘拐が行われていたという証言が多くあります。これは刑法の国外移送目的拐取罪にあたり、軍慰安所はこうした犯罪行為に支えられていたといえます」

・・・その騙した業者は何人でしょうか?そして日本軍が騙した訳ではないわけですね?

 ――慰安所に対する取り締まりはあったのですか。
 「元憲兵の回想記には、軍直轄の喫茶店、食堂で働くとの契約で中国に連れてこられた朝鮮人女性が売春を強いられていた、といった就業詐欺の事例が記されています(資料〈13〉)。記述は慰安婦に同情的ですが、軍内部の違法行為を取り締まる立場なのに、何もせず放置したままでした」
 「慰安所は軍に不可欠であり、それを維持するためには違法な方法で慰安婦が募集されてもやむを得ない――と考える体制が軍内部にできていたと思われます。たとえ政府や軍中央による命令がなくても、結果的に軍がそうした行為を容認したと言われても仕方がないのではないでしょうか」

・・・再度言いますが、「と考える体制が軍内部にできていたと思われます」「たとえ政府や軍中央による命令がなくても、結果的に軍がそうした行為を容認したと言われても仕方がないのではないでしょうか」と言わずに自信があるなら断言して下さいよ。

 ――強制的に女性を連れて行く事例はあったのでしょうか。
 一部部隊による拉致、人さらいのような強制連行が起きたことが戦犯裁判記録などで明らかになっています。慰安所を『戦地の公娼施設』とする考え方では『民間の業者や末端の部隊の軍紀違反行為にすぎず、軍中央の命令によるものではない』との主張になるのでしょう。しかし慰安所が軍の編成に組み込まれた軍の施設だとすれば、強制連行の軍命令の有無にかかわらず、軍の責任は否定できないといわざるを得ません」

・・・「慰安所=軍施設ならば強制連行の軍命令の有無にかかわらず、軍の責任は否定できない」ですね、引き続きよく検証したいと思いますが、一つ言えるのは1945年の米国から見ても、1965年の韓国から見ても総体として問題視はされていなかった、という厳然たる事実があった事です。

 (聞き手=編集委員・北野隆一)

 ◇永井和さん 京都大大学院教授(日本近現代史)
 ながい・かず 1951年大阪市生まれ。富山大助教授、立命館大教授を経て京都大学大学院文学研究科教授(日本近現代史)。著書に「日中戦争から世界戦争へ」「青年君主昭和天皇と元老西園寺」「近代日本の軍部と政治」など。(滝沢美穂子撮影)

■河野談話後、多数の資料見つかる

 慰安婦の存在は戦後、文学や元兵士の手記などで知られていたが、長く歴史学の研究対象とはされてこなかった。慰安婦問題の先駆的研究者である吉見義明・中央大教授は(1)軍や政府の資料が発見されていなかった(2)被害者の証言が得られにくかった(3)人権問題としてとらえる視点が乏しかった――を理由に挙げる。

 研究状況が変わるきっかけは、冷戦の終結と韓国内の民主化だった。まず韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」が1990年、慰安婦問題の真相究明が必要と問題提起した。翌91年8月に元慰安婦の金学順(キムハクスン)さんが実名で証言し、12月に日本政府を相手に訴訟を起こした。

 93年8月には当時の河野洋平官房長官が慰安所設置への軍の関与を認めて謝罪する「河野談話」を発表し、この間に研究の基礎がつくられた。資料となったのは、日本政府や研究者が発掘した軍や政府の公文書、元慰安婦の証言などだ。

 河野談話以降、新たな資料の発見が進み、慰安所での女性たちの境遇が慰安所業者の日誌で明らかになりつつある。昨年6月、国内で慰安婦問題に取り組む市民団体が、永井教授が分析した警察資料や戦犯裁判資料など538点が河野談話以降に見つかっているとして日本政府に調査を求めた。ただ、朝鮮半島で物理的な強制力を使い女性たちが連行されたとする文書は確認されていない。

 慰安婦問題を考える論文集「『慰安婦』問題を/から考える」(歴史学研究会、日本史研究会編)の出版にあたった大門正克(おおかどまさかつ)・横浜国立大教授は「植民地の日常から慰安婦が生まれた背景を探る研究や、各国の軍の管理売春と比較することで世界が克服すべき共通の課題と位置づける研究が出てきている。性暴力を問い直す世界史の流れの中で慰安婦問題をとらえることが必要だ」と話す。

 ■永井氏、法的根拠示す文書発見

 慰安所の経営管理は主に民間の業者があたっていたが、軍が様々な面で慰安所の設立や運営に関与したことがこれまでわかっていた。

 吉見教授によると、永井教授の研究の成果は主に、(1)軍が慰安所を設置する法的根拠を示す文書を発見した(2)慰安所は軍が設置した軍の施設であることを改めて資料で補強し確認した、という点にある。

 吉見教授は、永井教授が発見した1937年の「改正野戦酒保規程」という陸軍大臣が改定した軍の内部規則に注目する。慰安施設をつくれるという一文を第1条に加えるもので「慰安所設置に法的根拠があったことを示しており、永井教授の資料発見は、大きな意味がある」。

 アジア女性基金が96年10月に設けた「慰安婦」関係資料委員会は、河野談話の基礎になった資料とその後発見された警察関係資料を公刊した。基金の専務理事で、資料委の副委員長も務めた和田春樹・東京大名誉教授は「永井教授の研究は、これまでの軍や警察の資料を分析し直し、自身で発見した新たな資料を加味することで、軍が慰安所を設置したことを明らかにした」と話す。

 (佐藤純、編集委員・豊秀一)

 ■インタビューに引用された資料(〈1〉~〈13〉)

〈1〉在上海日本総領事館警察署長から長崎水上警察署長にあてた依頼状「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日付)

〈2〉和歌山県知事から内務省警保局長にあてた「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(38年2月7日付)

〈3〉群馬県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(38年1月19日付)

〈4〉山形県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(38年1月25日付)

〈5〉内務省警保局長が各府県知事にあてた通牒「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年2月23日付)

〈6〉陸軍省副官から北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長にあてた依命通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(38年3月4日付)

〈7〉内務省警保局長から各府県知事にあてた通牒「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年11月8日付)

〈8〉陸軍大臣から陸軍内に通達された「改正野戦酒保規程」(37年9月29日付)

〈9〉南京戦史編集委員会編、偕行社発行「南京戦史資料集1」(89年)

〈10〉清水一郎陸軍主計少佐編、陸軍主計団記事発行部刊行「初級作戦給養百題」(41年)

〈11〉桜田武・鹿内信隆著「いま明かす戦後秘史 上巻」(83年)

〈12〉内務省警保局「公娼制度ニ関スル件」(大正末ごろ作成)

〈13〉秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(99年)、鈴木卓四郎著「憲兵下士官」(74年)

 ■慰安婦をめぐる資料

 <慰安所が作られた理由や経緯について>

●岡村寧次大将資料 上巻(1970年、原書房)

 「私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者。昭和7(1932)年の上海事変のとき、二、三の強姦(ごうかん)罪が発生したので、(上海)派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、強姦罪がやんだので喜んだ」

●陸軍省医務局課長会報(39年4月15日)★

 第21軍軍医部長が性病予防などのため兵100人に1人の割合で慰安隊を採り入れたと報告。計1400~1600人

●支那事変の経験より観たる軍紀振作対策(40年9月19日、陸軍省が関係部隊に送付)〈資料A〉★

 「性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直、深刻にして、これが指導監督の適否は志気の振興、軍紀の維持、犯罪および性病の予防等に影響するところ大」

●陸軍省課長会報(42年9月3日)〈資料B〉★

 恩賞課長が慰安所を北支100カ所、中支140カ所、南支40カ所、南方100カ所、南海10カ所、樺太10カ所の計400カ所作ったと報告

 <慰安婦の集め方について>

●米軍の調査報告書(44年10~11月)★

 42年5月初め、軍から慰安所経営をもちかけられた日本人業者が朝鮮で慰安婦を募集。朝鮮軍司令部は業者への協力を求める他の軍司令部あての手紙を業者に持たせた。業者はけが人や病人の慰問、高収入、軽労働などといううその宣伝で女性を集め、7月10日に釜山を出港。朝鮮人女性703人と日本人業者約90人が乗っていた。8月20日に(現ミャンマーの)ラングーンに到着し、女性らは20~30人のグループに分けられ各地の部隊に配属された。

●バタビア臨時軍法会議の記録〈資料C〉★

 戦後のオランダ軍による戦犯裁判で、日本の軍人ら9人が44年2~4月ごろ、インドネシア・ジャワ島で抑留されていた10人ほどのオランダ人女性に売春を強制したなどとして死刑を含む有罪判決(スマラン事件)

 <慰安所での処遇について>

●「常州駐屯間内務規定」など17件(38~45年)★

 中国や東南アジア各地などに設置された慰安所の管理規定。軍による慰安所の建物の提供や営業の監督、営業時間、兵士が払う料金、慰安婦の性病検査などが定められている。フィリピンのイロイロ派遣憲兵隊の「慰安所規定」は「慰安婦外出を厳重取締」としていた。

●オランダ政府の調査報告(93年)

 日本軍の慰安所で働いたオランダ人女性は200~300人、そのうち65人は売春を強制されたことが「絶対確実である」

     *

 不適切な表現も原文のままとしています。仮名遣いなどは現在の平易な表現に改めました。★印は92~93年に日本政府が確認した資料計285件に含まれるもの。インターネットのサイト「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」の「慰安婦関連歴史資料」のコーナーに収録されているものもあります。永井教授が分析した警察関係資料も同コーナーで見られます

2015年7月4日土曜日

共同通信が挺対協代表にインタビュー

私は慰安婦問題の元凶は色々あれど、中心は日本では朝日新聞とその仲間韓国では挺対協と反日メディアと踊らされた韓国国民であったと思っています。今回共同通信がその代表尹美香(ユン・ミヒャン)氏にインタビューをしましたのでご紹介します。

http://www.47news.jp/47topics/e/266644.php

【慰安婦問題は今】事実認定、謝罪、賠償が柱 関係者処分は非現実的とも 尹美香代表との一問一答 

 日韓両政府が対立する日本軍の慰安婦問題をめぐり、韓国側はどのような解決の道筋を描いているのか。「韓国 挺身隊 (ていしんたい) 問題対策協議会(挺対協)」など8カ国・地域の元慰安婦支援団体は昨年の東京での連帯会議で(1)加害事実の認定(2)翻すことのできない明確で公式な謝罪(3)その証しとしての賠償―の3点を柱とする提言をまとめ、内閣府に提出した。今年5月のソウルでの連帯会議でも、この提言をあらためて確認した。近年の運動方針に微妙な変化の兆しを指摘する声もある。ソウルで挺対協の 尹美香 (ユン・ミヒャン) 常任代表に真意を聞いた。

           =========

 ―慰安婦問題の解決には何が必要か。

 「求めているのは歴史の真実。国家責任と強制性の否定は正しい歴史認識からの逆行だ。日本の公文書を含む多くの資料や証言が日本軍の関与、強制性を明確に示している。国家の組織的犯罪であることをまず認めてほしい。そのうえで、覆すことのできない形での謝罪と賠償。大きくはこの3点を要求している」

 ―昨年の「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」の提言には、挺対協が7要求として掲げてきた項目のうち「法的賠償」「責任者の処罰」などの言葉がなかった。運動方針に変化はあったのか。

 「被害者の生存中に日本政府が解決すべき優先課題を整理したのが提言。元慰安婦たちの最も切実で現実的な要求だ。提言を実行すれば、法的責任を果たすことになる。責任者の処罰も、挺対協として要求を取り下げたわけではない。日本が国家として女性を性奴隷にしたことが当時の国内法や国際法に照らしても間違っていたことを認めるのであれば、処罰を伴うべきだ。ただ、資料が失われていたり、責任者が高齢化あるいは既に死去していたりすることを考えると現実的ではなくなっている」

・・・国交正常化50周年の動きに合わせた日韓政府の和解の動きを受けて、危機感を持っているものと思います。そして挺対協は今後さらに生き残りのための活動を激化させるでしょう。

 ―日本で設立された「アジア女性基金」の「償い金」による解決など韓国側に譲歩の余地はなかったか。

 「日本の政府が法的責任を果たさず、民間基金で償いをしようとしたのが『アジア女性基金』であり、解決にはなり得なかった。社会に間違いがあれば、変えるための努力が必要だ。韓国側に譲歩を求める人たちが、日本の社会を変えるためにどれくらい努力をしているのかを逆に問いたい」

・・・日本側の苦心の策であったアジア女性基金での和解の機会を潰したのは挺対協です。「国家賠償でなければならない」と拘り、アジア女性基金からのお金を受け取ろうとしたハルモニにバッシングを加えたのが挺対協でした。

 ―償い金を受け取った女性を挺対協が攻撃したとの指摘がある。事実か。

 「受け取った女性は、いろいろな事情があってのこと。私たちがなぜ攻撃などする必要があるのか。受け取った人にも受け取らなかった人たちと同じように接し、支援を続けている」

・・・攻撃は否定しています。まあ普通はそう言うでしょう。

 ―挺対協を単に「反日団体」とみなす声さえ日本にはあるが。

 「私たちは日本軍が行った過ちを解決するための活動をしている。被害者の人権を回復し、再び同じような性暴力被害者が出ないようにすることが目的。反日団体でもナショナリズムを鼓舞する団体でもない。東日本大震災の時には日本に支援金を送ったし、韓国政府に対しても、ベトナム戦争中に韓国兵が行った女性への人権侵害問題などで、さまざまな要求を突きつけてきている」

・・・確かに今年でしたか、ライダイハン被害者を韓国に招き、枯葉剤戦友会(元軍人)団体とトラブルになっていたようです。今から思えばベトナム人の人権を考えてではなく、今回このようにアリバイとして言えるようにやっていたのではないかと考えてしまいます。

 ―「 挺身 (ていしん) 隊」と「慰安婦」は異なる。会の名称が誤解を生んでいないか。

 「毎年の総会で検討課題には上っているが、現状で変更は考えていない。お金を稼がせるとの誘い文句の中で『挺身隊』という言葉が使われた歴史的事実を残すという意味で変更してこなかった経緯もある。長年の運動で(名称が)浸透しているという面もある」

・・・朝日新聞や植村隆氏も主張する「慰安婦」と「女子挺身隊」の混同・誤用ですが、この挺対協という団体は名称からして事実と異なりおかしいわけです。「お金を稼がせるとの誘い文句の中で『挺身隊』という言葉が使われた歴史的事実を残すという意味」とさらりと言っていますが、そのような証拠はありません。

 ―過去に問題解決のチャンスがあったとすればいつか。

 「日本の民主党政権の時代だ。解決の雰囲気が出てきて、入国審査官にいぶかしがられるほど頻繁に日本に行った。(野田政権の) 斎藤勁 (さいとう・つよし) 官房副長官とは秘密裏に会って話もした。当時は、被害者が最も望んでいるのはお金ではなく、日本の市民や国会議員たちが示す心を感じることだとも伝えた。私たちも努力した。解決できなかった理由は分からないが、とても残念に思っている」(ソウル共同=石山永一郎、佐藤大介)

・・・「過去に問題解決のチャンスがあったとすれば民主党政権の時代だ」という事です。やはり以前のエントリは事実でしたか。しかも、「入国審査官にいぶかしがられるほど頻繁に日本に行った」とは驚きます。なぜ韓国政府ではなく一民間反日民間団体である挺対協が日本政府と国家的問題の代表として話し合うのでしょうか?韓国政府も一緒だったかも知れませんし、日本でもNGOが色々な場で政治に参加というのは無くは無いですが、異様です。挺対協が日本政府中枢を相手に交渉をしていたわけです。こと慰安婦問題に関しては挺対協は韓国政府よりも力を持っている面がありますが、その証左であると思います。

 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協) 旧日本軍の従軍慰安婦問題を解決することを目的として1990年に結成された市民団体。ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に日本政府への抗議集会を開催している。慰安婦問題解決のため日本政府に対し(1)慰安婦制度を戦争犯罪と認定(2)真相究明(3)公式謝罪(4)法的賠償(5)責任者の処罰(6)歴史教科書への記録(7)追悼碑と史料館の建設―の7項目を掲げており、韓国政府にも影響力を持っている

 アジア女性基金 慰安婦問題で日本政府は1993年に河野談話で旧日本軍の関与を認めて謝罪し、95年に民間の協力を得て「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を設立、フィリピン、韓国などの元慰安婦に1人200万円の「償い金」を渡した。医療・福祉支援も行った。65年の日韓請求権協定で解決済みとの立場から国家賠償とはしなかった。これに反発、韓国を中心に受け取りを拒否した被害者も多かった。2007年に基金は解散した。

 (共同通信)


最後に、挺対協は慰安婦問題が解決されれば存在の理由を失います。そして、挺対協はこれまで事態の改善の方向で活動してきたとは思えません。何でも反対、アジア女性基金も突っぱねる、日本側が到底飲めない条件を7つも挙げてどんどんハードルを上げていき、騒いで騒いで結局解決のための交渉すら出来ない状況にして運動としての反日活動に邁進したのみです。ハルモニおばあさん達のためにも全然なっていません。一見慰安婦を支援するふりをしながら、その実一番元慰安婦を不幸にしているのは挺対協だと思います。 

昨日のエントリでイ・ヨンス氏による挺対協批判をご紹介しましたが、これも挺対協の問題を示すものと思います。(この動きには別の背景、例えば韓国政府による挺対協攻撃の一環という可能性もあると思われますが)

2015年7月3日金曜日

著名な元慰安婦イ・ヨンスが挺対協を批判、極めて正論


イ・ヨンスと言えば、キム・ボクトンらと並ぶ著名な元慰安婦ハルモニであり、4月の安倍首相の米国議会での演説の際にもマイク・ホンダに連れられ議場に姿を現した人物です。

その人物がこの度韓国側の慰安婦問題主犯格と言える挺対協(挺身隊問題対策協議会)を批判するような言動をしました。

驚きはこれまでこれらハルモニはあまり教養が無く挺対協に洗脳され、言うがままに操られていた印象でしたが、発言の内容がとても的を射たものであり、極めて正論であるためご紹介したいと思います。正直見直しましたし、また、挺対協の邪悪さを再認識しました。

http://www.sankei.com/politics/news/150703/plt1507030034-n1.html

1 「(挺対協 が)当事者(元慰安婦)の意見も聞かず、日本との協議を拒否している」と強く批判している。

・・・私はこれらハルモニたちは利用されているだけであり、主犯は彼女達を操り、利用している挺対協 であると思っています。この証言は挺対協 がその政治的目的のため慰安婦のおばあさん達を無視して勝手な事をしている事を裏付けています。そして挺対協が慰安婦問題を解決する気はなく、むしろごじらせようとしているだけという事でしょう。

2 挺対協が在韓日本大使館前での毎週行っている抗議集会について「何のためにしているのか分からない。ただ、『謝罪しろ』『賠償しろ』と叫んで集会の回数をこなせばいいというものではない」と疑問を呈した。

・・・これは20年1000回以上実施している「水曜デモ」についてです。これもその通りです。

3 李さんはさらに「なぜ自分たちの思うままにやるのか分からない」と挺対協の独善的な姿勢を問題視した。「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない。挺対協の人たちは闘争家の側にいるようだ」とも批判した。

・・・ 「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない」というのもまさにその通りです。

4 「証言は私の命同然なのに、挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」と挺対協の情報収集のずさんさも指摘。

・・・この人は10回以上も変遷したメチャクチャな証言で有名で、ご本人の発言のブレもあるでしょうが、挺対協の責任もありそうです。

5 李さんは一方で、1965年の日韓請求権協定に触れ「日本から援助を受け浦項製鉄を作り、京釜高速道露を建設したのはいいことだ。あの時の金で(韓国が)経済発展をしたのなら、今度は韓国政府が慰安婦問題の解決に積極的になり、日本に先立ち私たちに賠償してほしい」とも述べている。

・・・これも正論ど真ん中です。日本からの経済援助で韓国が「漢江の奇跡」を成し遂げた事を評価し、そして、その経済援助には元慰安婦や徴用工の個人補償分も含まれていたわけですからもしも元慰安婦への補償・支援が必要なら韓国政府がその責を負うというのは元々の取り決めであり、その通りです。

6 李さんは「問題を解決するなら、韓国政府が慰安婦団体と被害者らを一つの場に集めて議論し、意見を聞かなければならない。そうすれば、被害者らが何を望んでいるかが分かり、解決策が出てくる」と韓国政府に訴えている。

・・・これは逆説的に言うと、今は挺対協が元慰安婦達を保護するように見せかけつつ世間から隔離して、実は彼女達本人の意見を無視していたり、正しく世に発信しない、という事ですね。

これらから私は挺対協がハルモニ達の事を真に考えているのではなく、自分達の目的のためだけに利用しているだけ、という構図が見えてきます。朝日新聞は「元慰安婦ハルモニ達の人権が~」と言うならばこの状況をどう思うのでしょうか?あ、朝日新聞も挺対協と同じく自分達の目的のためだけに利用しているだけか。

2015年7月2日木曜日

藤岡教授 vs 187人の学者(討論を呼び掛けられるも黙殺中)


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150613/dms1506131528010-n1.htm

少しご紹介が遅れましたが、慰安婦問題の専門家の一人であり、また教科書問題に取り組んでおられる藤岡信勝教授が5月に日本に向けて出された日本への慰安婦問題の解決を求める声明(「日本の歴史家を支持する声明」)に対する反論文書「『187人の歴史家声明』に対する応答と提案」を出しました。なかなか分かりやすい内容です。そんなに長くないので、この問題にご興味のある方はぜひご自身でご覧いただきたいと思います。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/187.pdf

ここで、これに至る経緯をご紹介しましょう。

1 2014年秋頃:マグローヒル社の高校歴史教科書で慰安婦問題について、デタラメな内記述である事が判明する。

2 2014年末頃:日本の外務省がマグローヒル本社(ニューヨーク)や著者(ハワイ大学ハーバート・ジーグラー准教授)に修正を要請、両者共に記述は根拠も無く「記述は歴史的事実」として対応を拒否。

3 2015年2月:アメリカ歴史学会の19人の「歴史学者」が日本側の教科書修正要請の動きを「自由な学問に対する検閲だ」と主張して批判。

4 2015年3月:日本の19人の歴史学者が具体的内容を示しつつマグローヒル教科書の問題点を挙げて、これの修正を勧告。(同社はこれをこれまでずっと黙殺)

5 2015年5月:おそらくは上記4に学術的に反論できないため、大物を引っ張り出して論点もずらした「日本の歴史家を支持する声明」が主にアメリカの187名の学者(後に賛同者が増えて合計400名以上)によって安倍首相訪米後のタイミングで出される。

6 2015年6月:藤岡教授が5に対して反論、討論会の開催を呼び掛ける。いまだ反応無し。

こういう流れです。都合の悪い事実に目を背け、学術的な真実から逃れているのは誰でしょうか?